ミツマタの花の咲く廃村 

昨日は、林道の突き当りで見たコショウノキのことを書きました。

崖崩れで仕方なく車を随分バックさせました。

やっと広いところがあってそこで回転させたのですが、その広いところは、下の川の方に小道のあるところでした。

そこに車を置いて、その小道を歩いてみることにしました。ちょうど雨が上がっていましたが、念のため傘を持って。

坂を下りると小川が流れていて、そこには小さな橋が架かっていました。

 

その小川の付近は、ミツマタの木がいっぱい。葉がなくて花だけ。

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ミツマタは咲き始めたばかりでとてもきれいです。

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花は下向きなので、しゃがんで上を向けて撮りました。

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その1個を随分拡大しました。

ひまわりみたい。

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橋を渡るとそこは昔、畑だったのかなと思わせる、石垣の土地。

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その向こうにもミツマタ。

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更に小道を進みました。

 

杉林を抜けたらまた別の世界が。

集落跡に出ました。びっくり。こんなところに人が住んでいたの?

私が車で林道に入ってからだけでも6キロ位走ったかな。

とても遠い。

 

集落の入り口にあったのはこんな板碑。

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なんだかそこに住んでいる人が自分で彫ったような文字。

南無大師遍照金剛と刻まれていますが、それがなんと文化4年。

文化4年を調べたら1,808年、光格天皇。徳川時代、徳川家斎の頃。

そんな昔からこの集落はあった。すごい歴史。

残っている屋敷跡らしい土地からして、10戸以上の家があったのかな。

 

石垣の上の丸いものは?

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古い風呂釜。

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古い瓦。

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小道の脇には仏像が残されたまま。

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仏様は人々のどんな祈りの言葉を聞いたのだろう。

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朽ちてしまった家。いったいいつごろまで人が住んでいたのか。

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山の中で、新しい道路ができなかった所は、やむなくこのように消えて行ったのでしょう。

 

そこに佇んで、昔の人の生活を思います。

山で働いていたお父さん。畑を耕すお母さん。

子供がお風呂を沸かしている。

マキが燃えるようにフーフー火吹き竹を吹いている子供。煙突から上がる煙。

泣いている赤ちゃんの声。

時が移ろって・・・また時が移ろって。

今、私がそこに立っています。