有楽椿(うらくつばき)という椿があります。
どこにでもはない椿でとても珍しいそうです。
西都市の一ツ瀬川左岸の米良街道を走っていたら、「有楽椿の里・尾八重」という看板が目に入りました。
ところが今年は道路損壊のため通行止めの看板も立っていました。
他の道はないかと探したら別の細い道があることが分かりました。
有楽椿は尾八重の中でも「大椎葉」と「樅木尾」いう所にあるようです。有名なのは樅木尾の方ですが、まず近い方の大椎葉の有楽椿に行ってみることにしました。
椎葉という名がついていますが、有名な平家の郷の椎葉とは全く違う場所です。
とても道が悪いから行けるかどうかわからないということでしたが覚悟して出発しました。
米良街道から山道に入りました。
随分狭い道を延々と上って行きます。
左は恐ろしいような深い谷、右は岩の崖というくねくね道です。
車が向こうから来たら交差するところが殆どありません。
車が来ないようにと祈りながら進みました。
随分登ったところに分かれ道があり、道標が出ていました。この道でいいのだと安心しました。樅木尾の方の有楽椿はテープで消してありますから、道路損壊で、やはりこの道でも行けないのかもしれません。
そこからまた進んで小さな案内板に従って左に入って行きましたが、道が荒れていて車が進めなくなりました。
歩いて数百メートル、すると道にピンクっぽい椿の落花。
そうです、この色です。有楽椿。
そこに大木があり、見上げると椿の花がいっぱい。高さ10メートル位。
淡紅色。
いいですねえ。
遠い道をやって来たかいがありました。
そこに立てられていた説明版です。
有楽椿というのを調べてみました。
西都市観光協会のページです。
・【江戸時代に「太郎冠者(かじゃ)」の名で呼ばれ、織田信長の実弟である織田有楽斎が茶花として愛用したのでこの名がついたといわれています。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、将軍家・公家・大名など上流階級の間で重宝されていました。
・有楽椿は、室町時代(1338年~1573年)頃に中国から輸入されたツバキ属の原種と、日本のヤブツバキとの間にできた珍しいツバキと云われています。“有楽椿”の名は、織田信長の実弟の織田有楽斉長益が茶席の花として愛用したことに由来し、京都では有楽椿、江戸では“太郎冠者(たろうかじゃ)”の名で呼ばれています。
花は12月から4月までと早咲きで開花が長く、一重のラッパ咲きで、淡紅色に紫を帯びた日本にはない色素を持っています。】
上の写真右が有楽椿の幹です。ツバキの木の向こうには廃屋がありました。
下の写真反対側から撮りました。家の向こう端が有楽椿です。
こんな山奥に住んでいた人がいました。
廃屋というのは、もののあわれを感じ私は好きです。
ここでどのような生活が営まれていたのでしょう。
店のある米良街道に出るには1日がかりだったことでしょうから、殆ど自給自足ということだと思います。昔はそんなところが多かったのかもしれません。
そこから見た山々。
ここに住んでいた人たちの喜怒哀楽。
昔々、庭の隅に先祖が植えた有楽椿が、後世そんなに有名になるなんて考えなかったことでしょう。 なぜ先祖様がそこに植えたのかの物語が知りたいものですが、今はもう語る人もいないようです。