古い山道のヤブツバキと祠

宮崎の中央の山道を車でゆっくりゆっくり走りました。

今は花は殆どありません。

たまにヤブツバキに出会います。

ヤブツバキの終わった山もあるけど、この日の山は今が盛りでした。

山によって咲く時期が違うようです。

葉もつやつやして元気です。

随分山奥まで入り込みました。車で1時間以上走った所で、崖崩れがあり、車で行けなくなりました。

車を降りるとそこに祠(ほこら)がありました。

ということは昔この付近に人が住んでいたということです。それらしき跡は見えませんけど。

訪れる人もいませんから、椿の花を折って手向けました。

祠の両側には文字の書いてある石碑。

下が右です。風化してなかなか読めませんが、多分右側に「文政12年」、中央に「四国八十八所供養」、左に「六月吉日」がかろうじて読み取れます。文政12年は1830年頃のことのようです。

それは江戸時代の事。こんな山奥に人が住んでいいた?

田んぼはない、畑もないような所。狩猟で暮らしていたのでしょうか。そしてどんな生活を営んでいたのでしょうか。とっても知りたくなります。

下は左側の石碑。こちらの方が風化が激しくて、私にはほとんど読み取れません。「月天尊?」かなという文字から始まっています。これが読み取れたら面白いのですが。

車を置いて1時間くらい歩きましたが、とうとう行き止まりになってしまいました。その先は道がないのです。

祠からそこまでの道はどうも木材切り出しのために、岩を削って新しく作った道路のようでした。祠までが昔の道だったのでしょうか。尾根道に近い道でした。