昨日はタニジャコウソウを見に行ってきました。
場所は児湯郡木城町石河内です。
この石河内というのは武者小路実篤の「日向新しき村」があるところです。
新しき村は今も残っていて、住んでいる人もおられます。
(新しき村の話は後で)
まずタニジャコウソウ。
新しき村のすぐ近くの小丸川沿いの急な崖に咲いています。
岩場でいつも水がしたたり落ちているようなところです。
このタニジャコウソウ、宮崎でもなかなか見ることはできません。
じゃ香の香りがするのかと思って、花に鼻をくっつけて嗅ぎましたがしませんでした。
ジャコウソウという花もあるようですが、私はまだ出会ったことがありません。
そして次が新しき村の話。
このタニジャコウソウの咲いているところの近くです。
私は小説を好きになり始めた高校生のころ、実篤の有名な小説を読みました。
「友情」「或る男」「お目出たき人たち」などなど。
私の友達も読んでいました。
だから宮崎に住むようになってバイクで山を越えてこの地を訪ねたときは、峠から見た石河内にとても感動した記憶があります。
今の若い人に武者小路実篤といっても知らない人がほとんど。
時代が変わりました。
さて、ここに、実篤が理想郷である新しき村を作ったのは、大正7年ごろの話のようです。100年くらい前の話です。実篤33歳、26歳の妻房子さんを伴っての入村だったそうです。最盛期50人を超える人たちが暮らしていたといいますから賑わっていたのですね。だけど開墾など労働も大変だったことでしょう。
房子さんはその後実篤とは離婚したそうですが、新しき村の同志の杉山正雄さんという人と再婚しここに残りました。
私はその房子さんに会ったことがあります。
知人に連れられて会いに行きました。昭和60年ころのことです。
小さなおばあちゃんでした。
赤地に黄色の入った和服姿でにこやかに迎えてくれました。
昔の話などはせず、天候の話などをしたばかりでしたが。
今も新しき村は残っています。人も住んでおられます。
新しき村は、下の写真の左から右に半島のように突き出たところです。
橋を渡って行きます。
この川の右手が石河内の集落です。
新しき村の入り口です。
昨年の写真ですが、村の様子です。
小さな記念館もあります。
実篤はここでしばらく暮らしたようですが、その後は執筆活動があるということで東京へ帰ってしまったということです。
以下は木城町のホームページのコピーです。
「新しき村」は、大正7年(1918年)に、文豪・武者小路実篤とその同志によって、 「お互いが人間らしく生き、むつみ合い、そしてお互いの個性を尊重し、他人を傷つけることなく、しかも天命を全うすることができる」理想郷を目指し、戦国時代の山城「石城」跡に開村されました。武者小路実篤はこの地に6年間暮らし、農業にいそしみながら文筆活動を行っています。
最盛期には50人を超える住民が暮らしていましたが、昭和13年のダム建設により水田が水没することとなり、埼玉県毛呂山町に新設された「新しき村」に大半の住民が移住しました。現在は2家族3人が暮らし、武者小路実篤の理念を受け継いで生活しています。
村内には、当時武者小路実篤が暮らしていた旧宅を模した「武者小路実篤記念館」があり、当時の出版物や武者小路実篤にまつわる書類・絵画等が展示されています。
(どうぞ石河内に遊びに来てください)