広い畑に行きましたら、菜の花が咲き誇っていました。
陽の光も春になりました。
モンシロチョウチョも菜の花の上を飛び回っています。
啓蟄も過ぎて、様々な虫が動き出します。
広い畑に行きましたら、菜の花が咲き誇っていました。
陽の光も春になりました。
モンシロチョウチョも菜の花の上を飛び回っています。
啓蟄も過ぎて、様々な虫が動き出します。
昨年寒くなるころ宮崎にやってきた冬鳥たちは、そろそろ北に帰る準備をしましす。
北に帰って繁殖するのです。
タゲリも飛び回って長旅の準備運動です。
喉の黒いものがいます。
タゲリの中でも、もう繁殖羽に変わりつつあるものがいるようです。
繁殖羽になると喉と胸が黒くなるようです。
これはまだのようです。
これはもうだいぶ進んでいます。
これはもう繁殖羽かな。
これも。
伸びをしました。きれいな羽。
北に帰る日はいつでしょう。見送りたいのですが。
宮崎市佐土原町は養鰻業が盛んです。
養鰻業者は小学校のプールの半分くらいの大きさの池…養鰻池…にウナギを飼っています。シラスウナギという幼魚を買ってそれを生かしているのです。
養鰻池のすぐ脇には小川が流れていました。
そのようなところを通りかかったところ、アオサギがなにか首に巻いていました。
(アオサギの向こうに見えるテントで囲ったところが養鰻池です)
近づいてみると、首に巻いているように見えたのはウナギでした。
養鰻池から逃げ出して、小川を泳いでいたウナギを捕ったようです。
私が近づくと逃げていきます。
奥に逃げて行ってしまいました。
アオサギは嘴と足が赤くなりました。
次第に繁殖羽になってきています。
広い葦原がありました。
その葦原の上の遠くを飛ぶ白っぽい鳥。
ハイイロチュウヒのオスです。
今季初めて見ることができました。
だけど遠い。
こっち来てという私の願いもむなしく、葦原に下りてしまいました。
近くで見たかった。
だけど見れただけでも幸運だと思うことにしました。
カルガモと一緒に泳いでいるのはカリガネです。
カリガネはなかなか見ることができない鳥です。
遠くで寝ていたのですが近づいてきました。
こんなに近くで見られて幸せです。
この後遠くに行って、寝てしまいました。
宮崎県児湯郡新富町の海がすぐそこの海岸林の中の道路です。
何か看板が立っています。
イノシシに注意!!
山の中ならイノシシを見ることがありますが、人家も近い海岸林。
まさか。
と思ってしばらく走り、海岸林を過ぎて入り江と海岸の間の道路。
いましたよ!イノシシに注意!!が。
車の中からフロントガラス越しに撮影。
イノシシにしてはあまり大きくありませんが、ウリ坊でもありません。
少年ぐらいでしょうか。
車の方に近づいてきます。
わあ、すぐ前。
左は黒っぽく、右はやや明るい色。
明るい色の方のお尻。
少しぼんやりとウリ坊模様が残っています。
こっちは黒の方。
こんな近くで見たのは初めて。
運転席のガラスを下げて撮っています。
イノシシの目。小さい!
運転席側を通ります。
何か道路に落ちたものを食べる様子。
車の後ろ向こうに行ってしまいました。
ドキドキの数分でした。
イノシシをじっくり見ました。
元気に大きくな~れ!
海を見に行きました。
海は広い。大きい。気持ちがいい。
北を見たらどこまでも砂浜
南を見てもどこまでも砂浜
宮崎県の海岸は直線的なところが多いのです。
そのような砂浜のすぐ林側に咲いていた花。
ハマエンドウ。
今年は気温が高いので開花も早いようです。
こちらは色があお~い。
とてもきれい。
今からハマエンドウの花の数が増えて賑やかになります。
壊れかけた鶏舎の屋根にホシムクドリ。
11月、12月はよく見ますが、今の時期はあまり見たことがありません。
南に行っていたのが北に戻る途中です。
よく見るととてもきれいです。
全体的に一層黒っぽく輝いています。
11月、12月に見たのは非繁殖羽でしたが、今は繁殖羽に移行中なのでしょう。
因みに下の写真は12月に撮ったものです。
これと比べると星の班が小さくなり黒っぽくなりました。
そしてこれなどは嘴が黄色くなりつつあるようです。
繁殖羽になると嘴が黄色くなるそうです。
屋根から下りてみんなで水浴び。
旅の疲れを癒します。
のどかな午後でした。
私の好きなハマダイコンの季節になりました。
新富町の浜に行きました。
いっぱい咲いていました。
見渡す限りハマダイコン。
その後大淀川の中流の高岡町に行きました。
ここでは所々。
まだ咲き初めです。菜の花に負けていました。
いつものことで若葉をかじってみました。大根の葉の味。
歩いていたら小鳥が餌を食べていました。
シメです。これはメスのようです。
メスは全体的に色が淡く、次列風切に灰色があると教えてもらいました。
シメはイカルほど大きくありませんが、似ていて丈夫そうな嘴ですから、多分ドングリを咥えて、大きな嘴でコキンと割るのだろうと想像しました。
下の写真で分かるように、周りにはドングリがいくらでも落ちていますから。
それでドングリを咥えたシメの写真を撮ろうと思い、暫くシメの食事に付き合うことにしました。
食べるたびにシャツターを切りました
だけどこれは何、枯れ葉?
これも?
あっちに行っては枯れ葉。
こっちに来ても枯れ葉。
随分長い時間付き合って、口に何か入れるたびに写真を撮ったのですが、ドングリは1回も食べませんでした。
この枯れ葉みたいなゴミみたいな中に虫でも混ざっているのでしょうか。
諦めて別な場所に行きました。そこにもシメがいました。1羽は下に1羽は木に。
これはオスのようにあります。色が鮮やかで次列風切りの灰色がありません。
一方木の上のシメはメスのようです。色白美人です。
雨が降り出しそうな午前中、シメなどを見て過ごしました。
楽しいひと時でした。
農道の脇に車を止めてぼんやりしていたら、藪の中で何か動くもの。
この模様は・・・。
キジのメスでした。
近すぎて向こうもびっくり。
慌ててまた藪の中へ。
瞬間でしたが羽の模様がきれいでした。
先日、西都市尾八重の大椎葉(おおしいば)に有楽椿を見に行ったとき、その奥に小椎葉(こしいば)という集落があって、そこには小学校もあって今もその建物が残っているという話を通りかかった軽トラックの人に教えてもらいました。
その日は時間がなかったので改めてその小椎葉に行ってみました。
一ツ瀬川左岸を走る米良街道の瓢箪渕(ひょうたんぶち)という小さな集落から山道に入り狭い坂道を大椎葉の方に上って行きました。
そして、前行った大椎葉を過ぎてしばらく進むと数軒の廃屋がありました。
その付近に集落があったことが伺えました。
そして道路のすぐ右に壊れかけた大きな建物。
そこが小学校かなと思いました。
横に回ると随分荒れています。
校庭と思しき荒れた平地に石碑が何基か建っていました。
奮起・・・学校らしい石碑。右は国旗掲揚台かな。
その近くにあった石碑。西都市小椎葉小学校跡 昭和55年3月31日
間違いありません。学校跡です。
約40年前の閉校のようです。
またその近くには
「創立百年に當り之を建立する 小椎葉小学校卒業生一同 昭和52年11月6日」
この時の百年前は1877年、明治20年です。
そのころに学校ができたのですね。ということはその随分前からこの集落は存在していたということ。
ここは小椎葉小学校の玄関です。
ぞうきん・・・小学校らしい。
2つの教場があったようです。ここは廊下。
教場
もう一つの教場の黒板。卒業生が時々やってきてその思いを書いたようです。
昔通っていた小学校、残っているなら私も行ってみたいです。
表彰状。
この学校で100年以上にわたり授業がなされていたのです。
なんだか感慨深いものがあります。
ここの卒業生は今、一体どこでどんな生活をしているのでしょう。
小学校跡を見た後、昔の人の住んでいた気配を求めて、ゆっくり付近の森を歩いて回りました。古い住居跡が数軒見つかりました。
そして、子供たちがワイワイガヤガヤと活気のあったころの集落を思いながら下山しました。
下山の途中の道路脇に古いお墓と思われるものが2基建っていました。
車を止めて見てみました。
左の方には寛政12年と彫られています。寛政年間と言えば江戸幕府11代将軍
徳川家斎の頃です。随分昔です。
本当はもっともっと昔からこの付近には人が住んでいたのかもしれません。川があって急峻な岩場があって、洞穴があって・・・もしかしたら縄文時代から・・・。私に残っている縄文魂の血が騒ぎます。
今私が住んでいる街を歩いていても、そんな昔に思いを馳せるようなものは残っていません。山奥に行くとこんなものが残っているなんてすごいです。
林道脇に白い花を着けた木がありました。
小振りの木です。
木の上の方に鈴なりに咲いている花。
馬酔木(あしび)の花。
とてもかわいらしい鈴のような花が鈴なり。
若山牧水の歌に
たけひくき馬酔木の花は山埴の赤きに垂りて鈴なりに咲く
赤い花もありますがこの日見たのは真っ白の鈴のような花。
だんだん陽が陰って夕方の色になりました。
早く下りないと日が暮れてしまいます。