ミヤマガラスとコクマルガラスと・・・

 

山手の方の広い田んぼの電線に、沢山のカラスが止まっていました。

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田んぼを見るとそこにも沢山。

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鳴き声からコクマルガラスが混ざっているようです。

私にはミャーミャーと猫のように聞こえます。

電線の方をよく見たら小さめのカラスがいました。

これです。上の電線の2羽ならんでいる右。

その他にもいます。


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下りている方のカラスの中にもコクマルがいました。

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電線のミヤマガラス。

渡ってきたころは嘴の黒いものが多かったのですが、今はすっかり白っぽくなりました。

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下は、「この騒ぎは何事」とあっけにとられている地元のハシブトガラス。

嘴(くちばし)がおみごと~。嘴太。

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ハシブト君、暫くはうるさいだろうけど付き合ってね。

ユリワサビかな?

ツクシチャルメルソウの咲いている、水の滴り落ちる小さな沢に咲いていたもの。

次はこの白い花です。

小さな花です。写真の右上にタチツボスミレが写っていますが、同じくらいの花です。

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スズシロソウとかマルバコンロンソウとか頭に浮かびましたが、帰って図鑑で調べたら

ユリワサビかなと思いました。

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私は植物もほんの素人なので自信がありません。

だけど現場でじっと見て楽しむのは、名前が分からなくても楽しいものです。

野仏とツクシチャルメルソウと・・・

 

有楽椿を見るため、山奥の川沿いの道を走っていると崖に野仏が二人おられました。

とても古いように思われます。 

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 石に刻まれた像です。

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左の仏様は顔が削られています。
廃仏毀釈の頃、仏像を壊す運動がおこりました。明治初期に神仏分離によって神道を押し進める風潮の中で起こったことです。宮崎では壊された石仏や顔のない石仏をよく見かけます。
右側は顔が壊されていません。仏様ではなく神道の神官の像のようにもあります。

車を止めて手を合わせました。

すると近くに、岩の崖から流れ落ちる小さな沢がありました。

近づいてみると植物に花らしきものが。 もう咲いている花? 

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葉が赤紫をしています。

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チャルメルソウの1種です。しかし何と早いこと。

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何チャルメルソウでしょうか。

よく見るのはツクシチャルメルソウですが、葉が赤紫はオオチャルメルソウかもしれません。

花を見ると赤紫ではなく泡黄色です。

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葉の色にかかわらず、 やはりこの付近に多いツクシチャルメルソウのようだと思いました。

同じ沢にもう1種の白い花が咲いていましたのでそれは明日・・・。

 

大椎葉の有楽椿・おおしいばのうらくつばき

 

 

有楽椿(うらくつばき)という椿があります。

どこにでもはない椿でとても珍しいそうです。

 

西都市の一ツ瀬川左岸の米良街道を走っていたら、「有楽椿の里・尾八重」という看板が目に入りました。

ところが今年は道路損壊のため通行止めの看板も立っていました。

他の道はないかと探したら別の細い道があることが分かりました。

 

有楽椿は尾八重の中でも「大椎葉」と「樅木尾」いう所にあるようです。有名なのは樅木尾の方ですが、まず近い方の大椎葉の有楽椿に行ってみることにしました。

椎葉という名がついていますが、有名な平家の郷の椎葉とは全く違う場所です。

とても道が悪いから行けるかどうかわからないということでしたが覚悟して出発しました。

 

米良街道から山道に入りました。

随分狭い道を延々と上って行きます。

左は恐ろしいような深い谷、右は岩の崖というくねくね道です。

車が向こうから来たら交差するところが殆どありません。

車が来ないようにと祈りながら進みました。

 

随分登ったところに分かれ道があり、道標が出ていました。この道でいいのだと安心しました。樅木尾の方の有楽椿はテープで消してありますから、道路損壊で、やはりこの道でも行けないのかもしれません。

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 そこからまた進んで小さな案内板に従って左に入って行きましたが、道が荒れていて車が進めなくなりました。

歩いて数百メートル、すると道にピンクっぽい椿の落花。

 

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そうです、この色です。有楽椿。

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そこに大木があり、見上げると椿の花がいっぱい。高さ10メートル位。

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 淡紅色。

いいですねえ。

遠い道をやって来たかいがありました。

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 そこに立てられていた説明版です。

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有楽椿というのを調べてみました。

西都市観光協会のページです。

・【江戸時代に「太郎冠者(かじゃ)」の名で呼ばれ、織田信長の実弟である織田有楽斎が茶花として愛用したのでこの名がついたといわれています。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、将軍家・公家・大名など上流階級の間で重宝されていました。

・有楽椿は、室町時代(1338年~1573年)頃に中国から輸入されたツバキ属の原種と、日本のヤブツバキとの間にできた珍しいツバキと云われています。“有楽椿”の名は、織田信長の実弟の織田有楽斉長益が茶席の花として愛用したことに由来し、京都では有楽椿、江戸では“太郎冠者(たろうかじゃ)”の名で呼ばれています。
花は12月から4月までと早咲きで開花が長く、一重のラッパ咲きで、淡紅色に紫を帯びた日本にはない色素を持っています。】

 

上の写真右が有楽椿の幹です。ツバキの木の向こうには廃屋がありました。 

 

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 下の写真反対側から撮りました。家の向こう端が有楽椿です。

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こんな山奥に住んでいた人がいました。

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廃屋というのは、もののあわれを感じ私は好きです。

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ここでどのような生活が営まれていたのでしょう。

店のある米良街道に出るには1日がかりだったことでしょうから、殆ど自給自足ということだと思います。昔はそんなところが多かったのかもしれません。

 

そこから見た山々。

 

 

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ここに住んでいた人たちの喜怒哀楽。

昔々、庭の隅に先祖が植えた有楽椿が、後世そんなに有名になるなんて考えなかったことでしょう。 なぜ先祖様がそこに植えたのかの物語が知りたいものですが、今はもう語る人もいないようです。

クロツラヘラサギとヘラサギ

 

クロツラヘラサギがまだいるか見に行ってきました。

いました。だけどお休み中。

数えたら14羽いました。

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一羽が顔を見せました。

「クロツラヘラサギだよ~」

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するともう一羽??

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ヘラサギのようにあります。

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ということで13プラス1かな?

 

そしてまた皆さんお休み。

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まだしばらくは宮崎で越冬します。

わが家にやってきたムラサキツバメ

 

 

わが家にムラサキツバメが3日間居ついていました。

時には部屋の中に入ってきてカーテンに何時間も止まったままだったり。 

 

翅が随分痛んでいます。 

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ムラサキツバメ、綺麗ですねえ。

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 裏は雲形。

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 顔。

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 今の時期いるということは、この形で冬を越すのですね。すごい。

もう帰ってしまわれましたけど、思いがけないお客様でした。

 

この冬一番の寒気だけどフキノトウ

 

2月18日、北の方では大寒波が来て大雪だそうです。

宮崎県でも山間部は雪が降る予報が出ていました。

 

そんな中フキノトウ探しに行ってみました。

晴れているけど風が冷たい。そして風が強いこと。

もちろん宮崎市は雪は降っていません。

 

今年は暖かいと思って芽を出したフキノトウが出ていました。

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あちらにもこちらにも。
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今日の寒さにビックリしているかも。

 

浜のカモメ

 

 

日向灘が広がる砂浜に行きました。

砂浜を歩いているとカモメが1羽上空をを飛んで行きました。

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そのカモメが下りた先は波打ち際。

そこにはカモメが沢山。 

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手前にその浜に流れ込む小川があって、砂浜を横切り海まで続いています。

それに沿ってカモメたちが歩いて上ってきます。

私がいる方向です。

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 なぜこちらに向かって来るのかなあと思って見ていたら、

その小川で水浴びを始めました。

塩水を落としているのかなあ。

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終わったら寛いで羽を乾かします。

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このカモメたちはセグロカモメです。

ところが下の写真中央に、一回り小さなカモメがいます。

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随分大きさが違います。だけど色合いがそっくり。

脚の色が違います。

ウミネコのようです。時々見かけます。

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そして並んで海を見ます。

そしてそして日が暮れます。

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私も海を眺めます。

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そして 私は日が暮れる前に帰ります。

海岸林のヤブツバキ

 

宮崎県児湯郡川南町は日豊本線が海岸沿いを走っています。

鉄路からすぐ海岸林です。海岸林の幅は50m位で、その先は砂浜です。

 

その海岸林を歩いてみました。下草が刈ってあります。

あちこちにツバキの花が散っています。

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見上げるとツバキの木。これはヤブツバキです。

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海岸林にはヤブツバキが多いです。潮風にも負けません。丈夫です。

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派手さはないけど この野生のツバキの花の方が好きです。

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海岸林の先は海。

太平洋。

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浜には人もいないし、見渡す限り海。

ドバト よく見るととてもきれい。

 

ドバトというのは野鳥には含まれませんから、普通野鳥図鑑には載っていません。

ニワトリが載っていないのと同じです。

神社でも公園でもどこでもいますが、山に行くといなくなります。

カワラバトという原種のハトがいて、それを人間が長いことかけて家禽化し、食料などにしていましたが、それが野生化したもののようです。伝書バトもそうです。

だから人間の近くにいるのです。

 

野鳥の写真を撮っている私は、ドバトを撮ったことはありませんでしたが、港の広場で休んでいると黒っぽいドバトが近づいてきて、その羽が光の当たり具合(構造色の原理)で輝いてきれいだったので写真を撮りました。 

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何でもそうですが、よく見るととても素晴らしいということに気付くことがあります。

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ここには3羽しかいませんでした。

本当はまだまだいろいろのパターンがあります。

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昼下がりの小さな港。

川南町通浜漁港。昼の時間で働く人の影はありません。

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コンビニのサンドイッチを食べながらドバトを見て過ごしました。 

 

 

キジバト 首の模様がおしゃれ。

 

 

どこにでもいるキジバトです。

山にも河原にも田んぼにも・・・。

とても多いです。1年中います。

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よく見ればとても上品な色模様です。 

首におしゃれな模様があります。青と白の横縞模様です。

これがあったらドバトではなくキジバトです。

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どうしてキジバトという名前かというと、キジのメスに似ているからということです。

下の写真がキジのメスです。

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 なるほど、似ています。納得。

 

アオバトに会うと運がいい。

 

アオバトはなかなか見る機会がありません。

奥山に行けばいるのですが、ばたばたと逃げる音で気付きます。だから写真がなかなか撮れない鳥です。

 

今回山道を走っていたら何羽ものアオバトが道路に下りていましたが、すぐ逃げてしまいました。

しかしよく見ると1羽だけがすぐ上の木に飛び上がって、私の方を見ていました。

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きれいな色です。

アオバトと言っても青くありません。黄緑色です。

このアオバトは羽の一部がワインレッドですからオスのようです。 

 

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鳴き声がとてもユニークです。鳥らしくない鳴き声です。
オー オアオ オアオ オアオ・・・と続けて鳴きます。
遠くで赤ちゃんが泣いているようにもあります。 

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 私は山奥でアオバトに会うといいことが起きます。

この日もこの後上空をクマタガが飛びました。

山姥の休め木(やまうばのやすめぎ)、そして楢山節考(ならやまぶしこう)

 

 

うっそうと茂った森の中を当てもなく歩いていました。

それほど寒さを感じない日です。冬の山ののいいところは顔にまとわりついたり刺したりする虫がいないところです。

 

遠くに何やら真っ白ものが立っています。不自然なくらい真っ白です。 

 

近づいてみると ・・・・これが「山姥の休め木」(やまうばのやすめぎ)です。

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昔は尾根道などの山道が交通路だったことなどから、山道で夕方の薄暗いときに、遠くに白っぽいものがぼんやりと浮かび上がると気味が悪かったことでしょう。
だから山姥という名前が付いたのでしょう。
山姥が休んでいるように見えるのです。

 

近づいてみると白い木です。白いというより銀白色に輝いています。


山姥というのは奥山に潜む白髪の老女の妖怪です。

人を捕って食います。恐ろしい。

 

木は銀白色のペンキを塗ったようです。

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境目は次の写真です。

この銀白色は何かというと、絹皮病(きぬかわびょう)というカビの一種だそうです。

菌糸です。木を枯らしてしまいます。

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「山姥」は、昔、口減らしのために山に捨てられた老婆かも知れないという説があります。

そういえば姥捨て山という話。

有名な小説に「楢山節考」(ならやまぶしこう)というのがあります。

深沢一郎の作です。若い頃文庫本を買って読みました。

本棚を探したらありました。これです。昭和47年ごろで120円と書いてあります。

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これはすごい小説です。その時も感動しましたが、今回また読み直してみました。

ますます感動しました。

内容というよりこの小説の組み立てです。

深沢七郎という人はすごい人だと思います。

筋は、

ずっと昔のとっても貧しい時代のことです。

書き出しは

「山と山が連なっていて、どこまでも山ばかりである。

この信州の山々の間にある村—向こう村のはずれにおりんの家があった・・・・」

で始まります。

その村では貧しくて食べるものがないため、貧窮の生活をしていました、

ですから人減らしをする必要がありました。

70歳になったら、山に捨てられるのです。

主人公のおりんは69歳でした。来年になったら楢山(ならやま)に捨てられます。

ところがおりんはそれを待っているんのです。

背負って捨てに行かなければならない息子の方が悩んでいます。

おりんは準備万端整えて息子を催促し、山に向かいます。

そして雪の中に捨てられます。おりんは全く悲しくありません。そこが深沢七郎のすごさ。どのように書くか。おりんの心の描き方。

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昔読んだ人もまた読み返してみるのをお勧めします。

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この山姥の休め木に出会うと普通の人は気味が悪いのでしょうが、私のように山奥を歩くのが好きな人間にとっては、「山姥さんまた会えましたね」と懐かしい感じです。 

「山姥の木」ではなく「山姥の休め木」という名前を付けた人も、この木が好きだったのかもしれません。