レンリソウが咲いていました。
レンリソウのレンリとは何でしょう。
「連理の枝」という言葉があります。
結婚式の祝辞などでも聞きます。
「順境にあっても逆境にあっても、連理の枝のように、二人寄り添い支えあって生きてください・・・」という風に。
連理の枝とは、古代中国・紀元前の春秋戦国時代、宗の時代の話。
ある国の大臣の中にとても仲のいい夫婦がいました。その妻はとても美人でした。
その国の悪い王様が、仲のいい夫婦の仲を裂き、夫を牢屋に監禁し、妻を城中に囲ってしまいました。
その境遇に悲嘆した妻は、王様に従っていた時高台から身を投げて自殺してしまいました。
それを聞いた夫も自殺してしまいました。
悪い王は、二人を同じ墓に入れることを許さず、夫の墓は妻の墓の隣に作らせました。
すると二人の墓から木の芽が出て、やがて木が育つと枝と枝が連なって、1本の木のようにになってしまいました。理とは木目のことです。それが「連理の枝」の物語です。
その後時代がずっと進んで唐の時代。
詩人・白居易の有名な叙事詩「長恨歌」の一説です。上に書いた物語からとった連理の枝が最後に出てきます。
絶世の美女楊貴妃に溺れた玄宗皇帝は、国政を顧みることなく、庶民の不満が充満していました。そして安碌山の乱がおきます。安碌山というの反乱軍の大将の名前です。
都を追われた玄宗皇帝の部隊は、途中で身内の兵の不満が爆発して、部隊が動かなくなります。このようになったのは皇帝が楊貴妃にうつつを抜かし過ぎたためだとして、楊貴妃を殺してしまいます。その時皇帝もそれを止める力を失っていました。
その後安禄山の挙兵は失敗し、長安は皇帝の手に取り戻されたため、皇帝は元の楊貴妃と暮らした長生殿に戻ります。しかし、そこには楊貴妃がいません。空しい毎日が過ぎます。いつも楊貴妃のことが頭から離れません。
その後いろいろありますが長恨歌の最後に出てくるのが連理の枝です。
天上の楊貴妃が地上の皇帝に送った詞です。
七月七日長生殿
夜半無人私語時
在天願作比翼鳥
在地願為連理枝
天長地久有時盡
此恨綿綿無絶尽
七月七日長生殿
夜半人無く私語の時
天に在りては願わくは比翼の鳥と作らん
地に在りては願わくは連理の枝と為らん
天長地久時有りて尽くるも
此の恨みは綿綿として尽くること無し
最後は恨みで終わります。だから長恨歌。
私が高校1年の時、この長恨歌の一部を漢文の時間に習いました。
ついでに比翼の鳥とは、雄と雌が各々翼と目を一つずつ持つ鳥で、雌雄一体となって飛ぶという鳥のことです。
そこでこの写真のレンリソウですが、小葉が対生しています。
葉の根元がくっついているようにも・・・見えます。だから連理草なのですね。
深い意味のある名前を貰いました。
連理の枝ではなく、連理の葉。
花はカラスノエンドウのような感じです。
花の拡大です。
チガヤなどがびっしり生えている所。よく生き残っているものだと感心します。
いつなくなるのかと心配しながら毎年見ています。
今年も沢山咲いているところを見れました。
案外逞しい。