宮崎県東臼杵郡諸塚村の林道を走って来ました。
雪が少し残っているところもありました。
道路の左上の藪の中、赤い動くもの発見。
ヤマドリのオスです。尾が長い。
腰が白くありませんからアカヤマドリです。諸塚村はアカヤマドリの区域です。
後ろに子供が見えました。
尾が少し赤くなってますが、ほかはまだ白っぽいです。
藪の中できれいに撮れませんでしたが、アカヤマドリに久しぶりに出会えました。
立春を過ぎました。少し寒さが和らぎましたけど、今年の冬は特に寒かったような気がします。
宮崎市でも早朝は氷点下になる日もあり、庭に置いている小鳥用水鉢に厚い氷が張りました。
我が家は古い木造住宅。古いサッシ戸の隙間から冷気が忍び込んできます。どうしたら防げるか考えて、雨戸を閉めることにしました。台風の時にしか閉めない木製の雨戸をがたがたと閉めました。暖かいパジャマを着て羽毛布団にくるまって寝ます。それでも明け方はとっても寒くなります。
そこでしみじみ考えたのです。
こんな寒い日、私たちの御先祖様…昔の人…はいったいどうしていたのでしょう。何を着ていたのでしょう。何を被って寝ていたのでしょう。
それで思いついた本があります。「木綿以前の事」という本です。確か文庫本を持っていたはずと思って本棚を探しました。そしたら見つかりました。民俗学者の柳田國男さんの本です。1979年、昭和54年に出た本です。
これによると木綿が日本に伝えられたのは、室町時代後半ごろ(1500年頃)です。
そのころから綿の栽培が始まりました。しかし木綿の着物を庶民が着るようになったのは江戸時代から明治時代にかけてだったようです。
それ以前は何を着ていたのでしょう。
麻が主流だったようです。
万葉集にも次のような歌があります。
あさ衣(ごろも)きればなつかし紀の国の妹(いも)背の山に麻まく吾妹 藤原郷
(麻衣を着ると、紀の国の妹背の山で麻の種を蒔く彼女が懐かしくなる)
万葉の時代から麻を栽培していたとはびっくりです。木綿が普及するまでずっと麻が主流だったようです。と言っても麻の着物が着れるのは文明の発達した一部の地域の人たちです。麻の手に入らない人たちは何を着ていたのでしょう。
本によると、例えば藤蔓(ふじづる)の皮で布を作っていました。今、山で見る藤の花の藤もそうですが、クズなどの蔓性の植物全体を藤と言っていたようです。
藤を打ち砕いてさらし、糸のように紡いでいたようです。その他にも地方によって木の皮なども使われていたようです。それで着物を作るのも大変だったことでしょう。そして冬は寒かったことでしょう。
布団の方は?
庶民が綿の布団で寝るようになったのはずっと後のことで、明治半ば以降のようです。それまでは畳があれば畳の上に寝て、昼着ていた衣類をかぶって寝る・・・畳がなければ藁の茣蓙(わらのござ)を敷いて藁布団をかぶって寝る・・・そういうことだったと思います。そのころの人はそれでも病気にならずに済んだのです。
文明が発達するにつれて人間の皮膚も軟弱なって来ました。私が小学校に通っていた田舎では、学校に行くのは裸足でした。今裸足で庭を歩こうと思っても小石が痛くて歩けません。米粒1個あっても痛みを感ずるのです。
この木綿以前の事を読んで自分の小さい頃の事・・・古い木綿のお下がりのネルの着物のこと、せんべい布団の事、寝る頃も燃えていた囲炉裏の事などを思い出しました。
そしてそれ以前のご先祖様たちの生活のことをしみじみと思うことでした。
そしてそして、古くなってページの端が茶色っぽくなった本のページをめくっているのは心が落ち着きます。
電線にびっしり。
ニュウナイスズメです。
他のものも混ざっていますけど。誰でしょう。
去年はよく見ましたが、今季は時々しか見ません。
全国的な寒波襲来の毎日です。宮崎でもとっても寒い日が続いています。
昨日の29日日曜日の早朝、友人から「シモバシラに霜柱が立っているよ」とメールが入りました。
はたと気づきました。うちの庭にもシモバシラという名前の植物が植えてあって、春には花が咲くのです。
今は枯れているけど、もしかしてその根元に・・・。
庭に出てみました。たくさんある霜柱の枯れた茎の下の1本だけ白いものが。
見事な霜柱。
大きさはこの位です。
長年庭の霜柱に気づきませんでした。どうせ平地の庭にはシモバシラは立たないと思っていました。
自分の家の庭で見られてよい朝でした。
大きな池の上をカモが飛び回っていました。
なかなか統制のとれた飛び方をしていました。
何ガモ?
トモエガモでした。
その数130羽以上。
無事に着水。
宮崎では最近トモエガモが増えてきました。昔は1羽でも遠くまで見に行ったものです。
先日の日曜日あちこちで野焼きがありました。
田や畑の周辺を、総出で野焼きするのです。
昔は棒の先に巻き付けた古い布に油をしみこませ、それに火を点けてあちこちに点火して回ったものですが、先日見たのは、小さなカセットガスボンベを持った人たちでした。うーん、時代が変わった。
それからもう数日経って、その焼け跡が黒く残っていました。
その黒くなった焼け跡のことを、末黒野(すぐろの)というのだと教えてもらったことがあります。俳句で使われるそうです。
その末黒野の中で動いている小鳥・・・。下の写真2羽写っています。
ビンズイでした。
末黒野の中にはよく小鳥がいます。草の種子が焼けて、食べごろになっているのだと思います。
下の写真、オオタカが木の中に止まって獲物を狙っています。
飛んできて木の中ほどに止まりましたが、いったん目を離すとどこだか分からなくなってしまいます。
保護色になっているのです。
下の赤丸の所にいます。
胸の模様から、まだ幼鳥のようです。
この時は獲物が捕れずに、しばらくしたら飛んで行ってしまいました。
次は幼鳥でなく、成鳥に出会いたいものです。