千田(ちだ)潜水橋のたもとで、その上流にもう一つ潜水橋があることを教えてもらいました。
車で10分も走ったらありました。
まずその橋のたもとに石碑。
そこは昔、船で人を渡す渡し場だったようです。
千畑と書いて、「ちばたけ」と読みます。
そこにあった千畑潜水橋。
あらまたどうしたことでしょう。橋が壊れています。多分今年の台風のせいでしょう。壊れることがあるのですね。びっくり。
この橋のこちら側は千畑集落。結構農家が並んでいます。ビニールハウスも沢山あります。
その集落の中に看板を見つけました。千畑古墳まで200m。初めて聞いた古墳の名前です。行ってみました。
土が盛られた古墳があるのかと思いましたが違いました。この階段を上って行くようです。
洞窟のような入口が見えてきました。
入り口の上は巨大な石。この入り口の石の切り方からしてこれは本格的。
入り口は屈まないと入れません。
巨石で組まれています。どんなにして運んだのでしょう。奥には広い部屋があるようです。
下の写真。奥の部屋。ここは玄室。死者が埋葬してあった部屋。
幅も高さも3m位。広くてとても立派です。
壁の石組がすごい。
天井は巨大な石の板。
中から入り口を写しました。このような立派な横穴式石室墳は初めて見ました。そしてこんなに自由に入れるなんて感動。
帰ってからこの千畑古墳について調べてみました。
この付近は一ツ瀬川を挟んで、南西の台地が西都原古墳群、そして北東側の台地は茶臼原古墳群です。この千畑古墳はその真ん中にあって、茶臼原古墳群の川側の切り立ったところを利用して作られた前方後円墳だそうです。その中核がこの石室なのでしょう。
6世紀末にこの付近を治めていた首長の墓なのでしょう。
その頃、この付近で人間のどんなドラマがあったのでしょう。
住む所と食べるものの確保、誕生.、戦いがあって和があって、
病があって、祈って祈って祈って、そして死・・・悲喜こもごものドラマ。
そして今、命の跡は「無」。すべて「無」
そこを出て付近を散歩しました。
前方後円墳の形はどこか、木が鬱蒼と茂っていて分かりませんでした。
小さな池がありました。
池の土手にリンドウの花。今の季節に?
ぽかぽか陽気の日の出来事でした。